ハンガリーは何度も領土を征服された歴史がある地域

ハンガリーは何度も領土を征服された歴史がある地域

ハンガリーとは、現地の言葉ではマジャルオグサーグという名前になる、中央ヨーロッパの内陸部側に存在する一国家です。

使用される公用語はハンガリー語で、首都となるのはブタペストです。キリスト教カトリック系の信徒が非常に多く、国民のほぼ6割以上がその信徒です。

カルヴァン派のプロテスタントも国民の2割ほどが信徒となっているとされます。

ロシアやウラル山脈方面から移動してきた民族であるマジャル人がこの国の祖先であるとされています。

この国に広がるハンガリー平原は古代にはパンノニアという名称が一般的に使用されていて、昔は先住民族であるパンノニア人や後にルーマニアの民と考えられているダキア人なども住んでいたようです。

初代ローマ皇帝アウグストゥスがこの地を征服を開始したのが紀元前35年ころで、紀元前9世紀頃には属州のパンノニアというローマ帝国の領土となっていました。

この頃の属州パンノニアは木々や麦などの天然資源に恵まれていました。

その後4世紀ごろにフン族がアッテラに率いられて侵入、これを機会にパンノニアはローマ帝国から脱しましたが、アッテラが没してしまった後は政治的な混乱を迎え、遊牧民族のアヴァールニ支配されたり、フランク王国に支配されたりと変遷が続きました。

そんな中9世紀に入りフランク王国が弱体化して国が分裂したころに、マシャル人がウラン山脈から進行し、ドイツにも進行しましたが、東フランク王国の王であるオットー1世と争い、レヒフェルトの戦いと呼ばれる戦でマシャル人は撃ち返されます。

この時の王が神聖ローマ帝国の肯定となり、皇帝に支配されたパンノニアはハンガリー王国となり、神聖ローマ帝国の一角となりました。

その後モンゴルなどの襲撃を受けて国土が消耗したりしましたが、ドイツ人の入植やナポリやポーランドといった他の王国と連合するなどで国土を回復していきました。

しかしその後オスマン朝との戦いであるモハーチの戦いにおいて負けてしまい、国土の半分を失いますが、オーストリアのハプスブルク家当主であるレオポルド1世によりオスマン朝は跳ね返され、ハンガリーもハプスブルク家の領土となり、その後にオーストリア=ハンガリ王国となり第二次世界を経て王制を廃止し、東側の諸国の一部となり、ソ連のゴルバチョフによるペレストロイカの影響で民主化の波が起き共和国となり冷戦狩猟とともにOECD・NATOに加盟しその後EUに加盟して国号から共和国を抜き現在に至ります。ちなみに日本とは有効な関係を結んでおり、建国千年を記念した催しなどが日本で開催されたりしています。